東京高等裁判所 昭和27年(う)2817号 判決 1953年7月17日
控訴人 被告人 木場常義
弁護人 林徹
検察官 中条義英
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は末尾添附の弁護人林徹名義の控訴趣意書と題する書面に記載の通りである。これに対して次の様に判断する。
論旨第一点に対して
ポツダム宣言第七項に依ると、平和、安全及び正義の新秩序が建設せられ且日本国の戦争遂行能力が破砕せられたことが確認せられる迄は、連合国の指定すべき日本国領域内の諸地点は合衆国大統領、中華民国政府主席及び「グレート・ブリテン」国総理大臣が同宣言第八乃至第十一項において指示する基本的目的の達成を確保する為占領せらるべきものである。従つて右第七項によつて占領せられた日本国領域内の諸地点は依然として日本の領土であるから、右の占領に直接に関連のない事項及び場所に対しては、右占領地域内においても日本国の主権は及ぶもの(同宣言第八項に依つて日本の本州の一部なる米空軍横田基地には日本国の主権は及んでいる)と解するのを相当とする。而して右の占領に直接に関連のある事項及び場所とは右の基本的目的の達成を確保する為に必要と思われる、軍事及び軍務に関連のある事項及び場所であると解すべきである。而して米空軍横田基地は右に謂わゆる被占領地域ではあるが、その地域内の一部たる日本人診療所において行われる日本人に対する診療は、右の基本的目的の達成を確保するために必要でもなければ、軍事及び軍務にも属しないから、右の占領に直接に関連のある事項には属せず、従つて又右基地内にある日本人診療所は右占領に直接に関連のある場所ではないと解するを相当とする。被告人の原判示犯行当時は右日本人診療所の経営は米軍の直営から離れて特別調達庁の経営となつていた点から考えても、右の結論は正しいと謂わねばならない。されば右基地内においても日本人診療所において日本人が日本人に対して為す診療行為に対しては日本国の主権、従つて又法権が作用すべきことは法理上当然である。されば被告人の原判示行為は日本国の法権の及ぶ地域内における日本人の行為であり、それに対しては当然日本法たる医師法の適用があるから、原判決が被告人の原判示行為を問擬するに原判示法条を以てしたのは正当である。即ち本件は医師法が日本国の法権の行われる地点において当然適用される場合であるから、医師法中に同法が日本国の法権の行われない地域においても適用せられる旨の規定がなくても、そのことは原判決における法令の適用には無関係のことである。被告人が所論の様に米軍から「医師兼顧問」として米空軍横田基地内日本人診療所において治療行為及び医務一切を行うことを「指示」せられていたとしてもその指示は、前述した法理に従つて明白であるように、米軍の日本国占領に直接に関連する事項に関するものではないから、日本の医師法の本件に対する適用を排除する効力を有するものとは解せられない。所論は結局米空軍横田基地の全地域を以て直ちに一様に日本領海内における米国軍艦内と同様視するものに外ならないのであつて、同基地内の日本人診療所が同基地における本来の占領施設と異る所以の特殊事情を考えないところに欠点を有するものと謂わなければならない。原審弁護人が原審公判廷において、米空軍横田基地内における医師でない者の医業は医師法違反として処罰することはできないと主張したことに対する原判決の所論説示は必ずしも詳細に亘つて適切になされたものとは謂えないが、その主旨とするところは、被告人の原判示行為は米空軍の横田基地内日本人診療所において行われたにしても、それに対しては日本の医師法の適用がある旨を述べたものであるから、かかる説示における抽象的粗雑性は、その説示が法令の適用に関するものであるところから見て、控訴適法の理由たる判断の遺脱にならないばかりでなく、たとえそれを判断の遺脱であるとしても、それは結局判決には影響を及ぼさないものである。米空軍横田基地はその全地域に亘つて一様に日本領海内における米国軍艦内と同様に視るべきものではなく、同基地内における或る地点にして米軍の占領事業たる軍事並びに軍務に直接に関連のない場所には依然として日本の主権、従つて又法権の及ぶべきことは既に述べた通りであるから、かかる場所に該当するものと解せられる同基地内の日本人診療所を目して右軍艦内と同様に視なかつた原判決は正当であつて、所論の様に、国際法上認められた治外法権の法理に違反して被告人を処罰した違法を蔵するものではない。以上の如くに原判示日本人診療所内は刑法第一条に謂わゆる日本国内に属するから、該地域における、日本人たる被告人の行為に対しては当然に日本法たる医師法が適用せられ、そのために特に所論の様に同法第二条乃至第四条の様な特別規定を必要とすることはない。又右診療所内には、前述の様に、当然に日本の法権が及ぶから、所論判例の趣旨とするところは毫も原判決と牴触しない。之を要するに、日本の法権の当然に及ぶところの原判示日本人診療所内において、日本人たる被告人が日本人たる患者を治療する行為に対しては、日本の国法たる医師法が当然に適用せられるのであるから、被告人が、原判示の様に、厚生大臣からの医師の免許を受けないで為した医業行為に対して原判示法条を適用した原判決は正当であり、その措置は毫も所論の様に医師法立法の趣旨並びに国際法の精神に背くことはない。原判決には所論の様な違法は一も存することなく、論旨は理由がない。
論旨第二点に対して
米軍の被告人に対する所論「医師兼医務顧問」として米空軍横田基地内日本人診療所において治療行為及び医務一切を取扱うべき旨の命令を所論の様にポツダム宣言、降伏文書及び連合軍最高司令官の一般命令第一号(軍事篇)第二項に基く指示であると解しても、その指示は私人たる被告人に一定の行為を命じたものであつて、それが日本法たる医師法の効力を廃止又は制限する性質のものでないことは明白である。何となれば該指示には日本の医師法の効力を廃止又は制限する趣旨の事項は毫も示されていないばかりでなく、実質的に考えても、日本の医師法は米軍の前述日本占領の目的から見てその効力を廃止又は制限せらるべき事項を内容としていないからである。原判決が「進駐軍正当権限者が医師法を排除する法規的命令を発布した事跡なく、仮に被告人に対し便宜医療行為を許したとしても医師法を排除する効力ありとは認められない」と説示しているのは、此の理に基くものと見るべきものである。従つて日本医師法は、被告人に対する所論「指示」があつたに拘らず、被告人の行為に対して効力を有するものであるから、被告人の原判示行為は、単にそれが所論「指示」に従つて為されたことの為に合法性を帯びることにはならないのである。尚これに、所論「指示」が被告人の原判示行為に対する医師法の適用を排除し得ない所以について論旨第一点に対して既に説明したところを綜合して考えると、被告人の行為は明かに違法性を有するものであり、因つて以てその違法性を阻却するに足る法令は存しないばかりでなく、被告人は恰も不当に業務に従事したものであつて、刑法第三五条に謂わゆる正当業務行為をしたものではないのである。換言すれば、被告人が原判示行為を為すについて所論「指示」に従つたことは、該行為をして刑法第三五条に謂わゆる法令に因る行為又は正当業務行為たらしめ得ないのである。即ち被告人が所論の様に米軍の「指示」に従つたことは同人の行為を米軍に対する関係において正当ならしめる所以となつても、日本法の適用を受くべき被告人の原判示行為を正当業務たらしめる所以とはならないのである。之を要するに所論指示は被告人の原判示行為に対する日本法の価値判断に毫も影響を及ぼし得ないから、被告人の行為は結局刑法第三五条によつてその違法性を阻却せられるものではない。弁護人の所論主張に対して原判決の示した判断もその主旨はこれと同様に帰するものと解する。従つて弁護人の所論主張は排斥せらるべきものであり、これに対する原判決の判断説示はやや粗雑の嫌はあるけれども、その趣旨においては刑訴法第三三五条第二項の要求するところを満しているから、原判決には所論判断遺脱の違法は存しない。尚被告人が本件治療行為を為すに当つて、所論の様に米軍から患者を連行せられた具体的事実があつたとしても、それは単に事実上の特殊状態であるにすぎなく、そのために前述法理上の結論は毫も影響を受けないから、この点について詳細な説明を与えなかつた原判決を目して敢て刑訴法第三三五条第二項所定の判断を遺脱したものと為すを得ない。加之所論「指示」に基く許可が一般的に医師法を排除する効力があるかどうかの判断は前示法理を展開するために必要な契機であるから、この点を説明した原判決の判断説示は適切であつて、所論の様な非難は当らない。原判決には所論違法は一も存することなく、論旨は理由がない。
論旨第三点に対して
洗濯業者が洗濯を依頼せられた洗濯物を自宅において所持することは洗濯業を営む上において必要な行為であつて、それが刑法第三五条に謂わゆる正当業務に因つて為した行為であることは明白である。而して右の所持行為の正当性は、それが洗濯業なる正当業務の遂行上必要であることに由るものであつて、その洗濯物の入手行為がその洗濯の依頼者によつて許容せられて正当であつたこととは直接の関係はない。所論は所論判例における洗濯物所持行為の正当性はその洗濯を依頼した進駐軍将兵がその洗濯物の持出を許容したことに由る旨主張するけれども、右の許容はその持出自体を正当ならしめる理由にはなるけれども、その洗濯物を自宅で所持することが正当業務行為として正当であることとは直接に関係がない。所論は更に右の論旨を演繹して、米空軍からその占領地域たる横田基地内で「医師兼医務顧問」の職務を与えられて治療行為を為すことを許容せられていた被告人がその基地内で治療行為を為すことは正当の業務に因つて為した行為であると主張するけれども、右の米空軍の許容は被告人の判示治療行為を米軍に対する関係において正当ならしめる所以となつても、該行為を日本の法律上正当業務行為たらしめる所以とはなり得ない。何となれば被告人の右行為に対しては日本医師法の適用のあることは論旨第一点及び第二点に対して既に説明した通りであり、同法によれば右の治療行為を正当業務行為として為すがためには医師の免許を要するところ、右米空軍の許容は右医師の免許そのものではないばかりでなく、論旨第二点に対して既に説明したところによつても明白である様に、右免許に代るべき効力を有するもの又は右免許を必要とさせない効力を有するものでもないからである。かくして日本国厚生大臣の医師免許を受けなかつた被告人の判示治療行為が正当業務行為でないことは明白であるから、原判決が被告人の原判示行為を刑法第三五条に謂わゆる正当業務行為と解しなかつたことは正当である。援用にかかる判例は本件には適切でなく、又原判決は刑法第三五条の解釈を誤つてもいない。論旨は理由がない。
(その他の判決理由は省略する)
(裁判長判事 久礼田益喜 判事 武田軍治 判事 河合清六)
控訴趣意
第一点原判決は弁護人の治外法権に関する主張の判断を遺脱し、且つ、刑法第一条ポツダム宣言第七項等に違反し罪とならざる所為を処罰した違法がある。
一、原判決は「被告人が医師の免許がないのに昭和二十四年十月五日頃より昭和二十六年七月七日までの間東京都西多摩郡福生町所在米空軍横田基地内日本人診療所で………治療行為をなし以て医業をしたものである。」と認定して被告人を医師法第三十一条第一号、第十七条、罰金等臨時措置法第二条、第四条に該当するものとして処罰すべきものと判示している。然し米空軍基地は、その期間中米軍がポツダム宣言に基いて占領中であつて、その占領地域内において医師法違反の行為が行はれても、それは日本国の法権の及ばない地域内における所為であり、且つ日本の医師法は日本国の法権の行はれない地域についても適用する旨の規定がないから、日本の法令に基き処罰さるべきものではない。而かも被告人は米軍から「医師兼顧問」(Doctor and Medical Adviser)として米軍横田空軍基地内日本人診療所において治療行為及び医務一切を取扱うことを命ぜられていたのであるから被告人の本件治療行為は米軍の「指示」(instruction )による行為であつて、日本の医師法よりもその「指示」が勝る効力を有するものであつて、本件治療行為については日本の医師法の適用なきこと明らかである。
二、弁護人は原審においても右事実及びこれに関連する事実(弁護人の昭和二十七年五月二日附木場常義に対する医師法違反事件陳述要旨一乃至四項)を主張したのに対し、原判決は刑事訴訟法第三百三十五条第二項に違反して、これに対する判断を遺脱している。尤も原判決は「弁護人は本件行為は進駐軍占領地域に行はれたもので医師法は占領地域内には及ばないと主張するも」と判示して、これについて次項記載の如き判断をしているが、弁護人は単に「医師法は占領地域内には及ばない」と主張するのではなく、前記期間中における米空軍横田基地内は日本国法権の及ばない地域内であつて、その地域内においては医師でない者が医業をしても医師法第十七条、第三十一条第一号違反として処罰することができないことを主張するものである。
三、原判決は「占領地域内には占領国の権力が行使される関係上日本国の権力行使が制限される丈で医師法の効力が排除される性質のものではない」と判示している。然し弁護人は医師法の一般的効力が排除されるか否かを問題とするものではなく、米空軍横田基地内における医師でない者の医業が医師法第十七条、第三十一条第一号違反として処罰すること等を主張するものである。米空軍横田基地の如き「占領地域内には、占領国軍の権力が行使される関係上日本国の権力行使が制限されることは所論の通りであつて、その占領地域内は、日本国外におけると同様日本国の法権が及ばず、殊に日本国の医師免許なき者の医業を日本国の法権により処罰し得ないものなること明白であるから、原判決が被告人を日本国法権により処罰したのは違法である。現に米空軍横田基地内において日本国の免許を受けない医師、自動車運転手、ボイラーマン、飲食店業者、理髪店業者等が多数米空軍に雇われてその業務に従事しておるにかかわらず、未だ嘗て無免許の故を以て処罰されたことはない。米軍より米空軍基地内においてこれらの職業に従事することを許容せられた以上は、日本国の免許がなくとも何等違法とはならないからである。日本国は事実上これらの業務を取締ることは不可能であり、またこれらの取締は米空軍がこれに当るべきものであつて、日本国の干渉し得ないところであり、治外法権の領域であるからである。米空軍横田基地内は、あたかも日本領海内における米軍軍艦内と同じく、その内部において医業をなす者に対して日本国の免許なき者として処罰し得ないのと同じである。原判決は国際法上認められたこの治外法権の法理に違反して被告人を処罰した違法がある。
四、ポツダム宣言(一九四五年七月二十六日)第七項において「連合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ」と定められ、米空軍横田基地内日本人診療所はその宣言に基いて米軍の使用する施設及び区域の内部にある。この内部には日本国の法権は及び得ない。日本国は昭和二十年(一九四五年)九月にポツダム宣言を受諾し、その際調印した降服文書(外交篇五)において、日本政府は、自ら及びその国民が連合軍最高司令官の命令に服することを約した。従つて、右占領地域における治外法権を承認したものであるから、日本国は米空軍基地内における犯行は刑法第一条にいう「日本国内」に当らず、従つて、同法第二条乃至第四条の如き特別規定あるものの外は、日本国法を以て処罰し得ないこと明かである。従つて、原判決が米空軍横田基地内の医師法違反犯行を処罰したのは違法である。
五、「刑法第二条乃至第四条ノ規定ハ国外犯即チ帝国ノ法権ノ及ハサル地域ニ於ケル犯罪ニ関スルモノニシテ凡ソ帝国内ノ犯罪ニ付テハ当然ニ我刑罰法令ヲ適用スルヲ以テ原則トスルコト同法第一条第八条ノ明記スルトコロナリ、而シテ所謂帝国内ノ犯罪トハ独リ帝国領土内ノ犯罪ヲ指称スルニ止マラス苟クモ帝国ノ法権ノ及フヘキ地域内ノ犯罪ヲ包含スルモノト解スルヲ至当ナリトス、蓋シ国家カ自己ノ権力ヲ行使シ得ル地域内ニ於テハ自己ノ法令ヲ施行スルノ自由ヲ有スルハ当然ノ法理ニシテ国際条約モ亦之ヲ承認シツツアリ乃チ帝国ハ明治二十九年日清通商航空条約ニ依リ中華民国ニ於テ領事裁判権ヲ有シ帝国臣民ニ対シ帝国ノ法律ニ従ヒ裁判権ヲ行使スルコトヲ得ルカ故ニ帝国臣民ニシテ同国ニ於テ罪ヲ犯シタル者ハ帝国内ニ於テ罪ヲ犯シタル者ニ該当シ当然ニ刑法ノ適用ヲ受クヘキコト明白ナリ」(大審院昭和八年二月二十三日判決、刑集一二巻一八一頁、同趣旨大審院昭和二一年九月六日判決、判例総覧刑事編一巻三頁)。この法理によれば刑法第一条にいう「日本国内」というのは日本国の法権の及ぶべき地域を指すものであつて日本国外における日本船舶を含むと共に(刑法第一条第二項)、たとえ、日本の領地及び領海内といえども、日本領海内の外国船舶や日本領地内の米空軍横田基地その他外国軍占領地域の如く日本国の法権の及ばない地域内においては、刑法第二条乃至第四条の如く特別の法令ある場合の外は、日本の刑罰法令の適用なきこと明かである(刑法第八条)。而して医師法については日本国外において犯したる罪を処罰する規定がないから、横田空軍基地内における日本の医師法違反の行為は、日本の刑法に基き刑罰を科せらるべきものではない(憲法第三十一条参照)。従つて、被告人の米空軍基地内の医業の所為を処罰したのは違法である。
六、抑々医師法第一条は「医師は医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて、国民の健康な生活を確保するものとする。」と規定し、この日本国民の健康生活確保に適する学識経験ありと認めた者にのみ厚生大臣をして医師の免許を与えて、右第一条の目的を達成せんとするものであつて、米空軍基地内において日本人が日本国の厚生大臣の免許なく、単に米軍のみの許容を得て医業をなすことを禁止する趣旨でないこと明かである。原判決は、あたかも、日本領海内における軍艦その他の外国船舶や、日本領地内における外国軍の占領地域における医業をもすべて日本国の厚生大臣の免許なくしてこれをなすことを禁止し、これを処罰せんとするものであつて、医師法立法の趣旨に反し、国際法の精神に背く、違法の処罰である。
第二点仮りに本件につき医師法の適用があるとしても原判決は弁護人の刑法第三十五条の主張についての判断を遺脱し、且つ同法条に違反する違法がある。
一、被告人は前記期間中米軍に雇はれ、米軍から「医師兼医務顧問」(Doctor and Medical Adviser)の職務を与えられ、その職責として米軍横田空軍基地内日本人診療所において治療行為及び医務一切を取扱うことを命ぜられており、殊に被告人は本件治療行為に当り具体的にも米軍より患者を連行せられ、米軍の命令により治療に当つたものであるから、本件治療行為は刑法第三十五条の法令又は正当の業務によりなした行為に該当するから無罪である。
二、弁護人は原審において右事実及びこれに関連する事実(弁護人の昭和二十七年五月二日附木場常義に対する医師法違反事件陳述要旨(第二)第四項及び第五項並に弁護人の昭和二十七年四月二十六日附木場常義に対する医師法違反事件陳述要旨第三項乃至第七項)を主張したのに対し、原判決は刑事訴訟法第三百三十五条第二項に違反して、これに対する判断を遺脱している。尤も原判決は「弁護人は被告の行為は進駐軍の命令に従つたもので法令又は正当の業務行為だから無罪だと主張するが」と判示し、これについて次項記載の如き判断をしているが、弁護人は単に「被告の行為は進駐軍の命令に従つたもの」だと主張したのではなくて、被告人は前記期間中米軍に雇はれ、米軍から「医師兼医務顧問」の職務を与えられ、その職責として米軍横田基地内日本人診療所において治療行為及び医務一切を取扱うことを命ぜられており、殊に被告人は本件治療行為に当り具体的にも米軍より患者を連行せられ、米軍の命令により治療に当つたものである旨を主張するものである。
三、原判決は弁護人の右主張に対し具体的の事実の有無について何等の判示をしないで、単に「進駐軍が医師法に反する法規約命令を発布した事跡なく、仮に被告人に対し便宜医療行為を許したとしても医師法を排除する効力ありとは認められない」と判断しているが、弁護人は進駐軍が抽象的一般的に医師法に反する法規約命令を発行した事跡があつたと主張するものではなく、被告人の前記具体的雇傭、職務、職責、並に個々の治療依頼をしたことを主張するものである。これらの事実がある以上、被告人の本件治療行為は正当な行為であつて、処罰せらるべきではないと主張するものであつて、原判決判示の如く、「進駐軍が被告人に対し便宜医療行為を許し」その許可に基いて医業をなした以上、その医業は正当の行為であつて処罰すべからざるものなること明かであるから原判決は違法である。その許可が一般抽象的に医師法を排除する効力ありや否やは問題ではないのである。
四、日本国は前述の如く昭和二十年(一九四五年)九月にポツダム宣言を受諾し、その際調印した降服文書(外交編五)において、日本政府は、自ら及びその国民が連合軍最高司令官の命令に服することを約した。これについて連合軍最高司令官の一般命令第一号(軍事編一)第二項において「日本国及び日本国の支配下にある軍及び行政官憲並に私人は本指示及び爾後連合軍最高司令官又は他の連合軍官憲の発する一切の指示に誠実且つ迅速に服するものとす。」と定められ、この条文によれば、立法権が最高司令官及び「他の連合軍官憲」に存すること及びその権限が「指示」(instruction )を通じて行使されることが認められている。従つて法律見地からいえば、このような「指示」は、日本の憲法や通常の法創系にすら勝る効力のある法形式を構成しているのである(トーマス、ブレークモア、矢沢惇訳「管理下における外国人に関する法律問題」日本管理法令研究第三四号二頁参照)。その「指示」とは指令(command )又は命令(order )を意味し、それは、あらゆる事項について用いられ、又作為を要求することも不作為を要求することもある(同上三頁参照)、その「指令又は命令は、憲法の規定すらも優越する効力を有する日本の法」であり、日本の通常の法の下では禁止された行為でも「連合軍官憲」の「指示に従つてなされているから、合法的行為であるという主張を日本の政府機関や個人が主張している実例がすでに生じている。」(同上三頁参照)。被告人木場常義は米軍から「医師兼医務顧問」(Doctor and Medical Adviser)として米軍横田空軍基地内日本人診療所において治療行為及び医務一切を取扱うことを命ぜられていたのであるから、被告人の本件違反行為は米軍の「指示」(instruction )によるものであつて、その「指示」は日本の医師法よりも勝る効力を有するものであつて、本件治療行為については日本の医師法の適用なきこと明白である。殊に被告人は本件治療行為に当り具体的にも米軍より患者を連行せられ、米軍の命令により治療に当つたものであるから、被告人の本件治療行為が医師法違反とならないこと極めて明白である。
第三点原判決は最高裁判所昭和二十三年(れ)第一七四一号昭和二十四年九月十九日の判決の趣旨に違反し刑法第三十五条の解釈を誤つた違法がある。
この判決は「刑法の各本条に定めた犯罪の構成要件に該当する行為であつても、それが正当の業務により為した行為であるときには、これを罰しないことは、刑法第三十五条の定めるところであつて、この規定は刑法以外の他の法人において刑を定めたものにも亦適用されることは同法第八条本文によつて明かである。本件について………原審は洗濯業を営む被告人が進駐軍将兵から洗濯を依頼されて受領し、これを自宅で業務上占有したいわゆる進駐軍物資の所持をも、昭和二十二年八月二十五日政令第一六五号に反する違法行為として処罰しているのである。しかしながら、洗濯業者が客から洗濯を依頼されて洗濯物を所持することは、正当の業務に因り為した行為であること言うまでもないのであるから、かかる行為は、刑法第三五条によつて処罰し得ないものと言わねばならない。」と判示している。(判決総覧、刑事編三巻四五一頁)。
即ち刑法第三十五条にいう「正当の業務」とは法令に直接の規定がない場合でも本来正当な行為を処罰しない趣旨であつて、例えば医師でない者が行う治療行為であつても、その者が米軍に雇はれ、米軍より「医師兼医務顧問」としての職務を与えられ、米空軍の占領地域たる横田基地内において、治療行為をすることを許されていた以上は、その治療行為は正当であつて、日本国厚生大臣の医師免許がなくとも、処罰さるべきではない。あたかも、洗濯屋が進駐軍将兵から進駐軍物資の洗濯を依頼されてこれを自宅で所持するとも、その持出を進駐軍将兵が許容していた以上犯罪とはならないと同様、米空軍からその占領地域たる横田基地内で「医師兼医務顧問」の職務を与えられて治療行為をすることを許容せられていた者が、その基地内で治療行為をすることは、正当の業務に因りなした行為であることは言うまでもないのであつて、その者が日本国厚生大臣の医師免許を有するや否やは、その正当性の認容に何等の妨げとなるものではない。従つて、原判決は刑法第三十五条の解釈を誤つた違法がある。